会長挨拶

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昨年の春にはパリのノートルダム大聖堂の火災、秋には、ようやく再建した沖縄の首里城が焼失するということがありました。世界でも日本でも心のよりどころとなっているようなものが失われという惨事がございました。形あるものは守っていくのがなかなか難しいものだなと感じたしだいであります。少林寺拳法は一度心の中にうちたてれば崩れない心のよりどころだと思っております。開祖の言葉を読み返してみると、開祖が大切にしていたものは人間関係ではないかなと改めて思ったわけであります。そしてそれが心の拠り所なんだということを言っているように思われました。半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを、というフレーズも人間関係が大切であるという言葉だと思っております良き人間関係こそが社会を良くして世界を良くするということを教えているんだなと思いました。改めて見ると今の世界の状況はハラハラするようなギリギリの国際政治が進行しているという感じがいたします。また日本では政治家を含めまして我が国をリードする人たちのありようが大きく崩れてしまっているじゃないかなと心配をしています。非常に心配、ハラハラすることが多い時でありますけど、そういう時こそ少林寺拳法の思いを広めていくことが大事だと思いますし、少林寺拳法の良き人間関を社会に築いていくことが世の中の助けになればいいかなと思っています。
今年はオリンピックの年です。なんとか成功して日本の人たちと世界の人たちが共に楽しんで良き人間関係を作る、たくさん作っていくことを期待したたいなと思っていますまた実業団連盟も50周年という年であり、少林寺拳法が発展する良い年となるように御祈念いたします。
(2020年1月18日 関東実業団少林寺拳法連盟新春懇親会でのご挨拶)


理事長挨拶

準備中

歴史

実業団連盟は1970年に設立され、間もなく50周年を迎えようとしております。

 

実業団連盟のあゆみ

少林寺拳法の開創から20余年が経った1969年。 日本が未曾有の好景気を迎えるなか、雇用促進事業団に勤務する松木長實が実業団支部設立を決意した。
支部設立許可の際、開祖・宗道臣は松木の師であっ た内山を通して松木に命じた。「実業団連盟を設立せよ」。
年が改まって1970年。ここから実業団連盟の歴史が始まった。

1973年:東京の日比谷公会堂で第1回全国実業団演武大会を開催。

日中国交正常化直後の騒然とした世相の中、第1回大会では民間初の日中交流行事として中国大使館から来賓を招聘。そのため右翼団体との衝突が予想された。
大会の朝、実行委員全員に特殊警棒を配り、実行委員長だった松木は言った「私に命を預けてくれ」誰一人、笑うものはいなかった。
少林寺拳法の歴史において初めて開祖法話を導入し たこの大会は、大成功のうちに幕を閉じた。
数々の困難を乗り越えた実績は自信につながった。 と同時に同じ釜の飯を食った仲間との結束はより強固なものとなった。
大会パンフレット(PDF)

1975年:愛知県・名古屋市 において第2回実業団連盟全国大会を開催

少林寺拳法の歴史において初めて「弁論の部」が設 けられた記念すべき大会であった。
この大会がきっかけとなって東海地区に実業団連盟 が誕生した。 関東に次ぎ、2番目の実業団連盟だった。

1977年:関西実業団連合会結成(関西実業団連盟)
1979年:第3回全国実業団演武大会が大阪府の松下牧方体育館で開催

病をおして駆けつけた開祖。5,000人が見守る中、 壇上で熱弁を振るった。 開祖遷化の前年であり、これが開祖がご臨席された 最後の大会となった。
大会パンフレット(PDF)

 

国民の不断の努力により年々右肩上がりの日本経済。実業団連盟も歩調をあわせるかのごとく躍進を続けた。
70年代後半から80年代に掛けて、実業団連盟は最盛期を迎え、全国で170を越える実業団支部が活動していた。

1987年:実業団連盟から自衛隊連盟が独立

全国に広がった実業団支部の活動は地区ごとに分化活性化していった。

 

 

1990年代初頭。バブル経済崩壊。日本列島に激震が走った。職域支部の連合体である実業団連盟は経済破綻のあおりをまともに喰らった。 「失われた20年」に突入し、その後長く吹き荒れる逆風をしのぐことを強いられた。

2000年10月: 全日本実業団連盟設立30周年記念大会を東京で開催。
2010年10月:全日本実業団連盟設立40周年記念式典を千葉県浦安市で開催

「志を引き継ぐ」を合言葉に10年ぶりの全日本実業団イベントが行われた。

2015年10月:全日本実業団連盟設立45周年記念式典を愛知県刈谷市にて開催

 

周年記念誌データ

45周年記念誌(PDF)
40周年記念誌(PDF)
30周年記念誌(PDF)