斥候隊の記録 Episode 2
         - 関東実業団連盟 SKボランティア -
※ 関東実業団連盟は東日本大震災の復興支援を長期的に支援していきます
参加者の目から見た実業団ボランティア日記   (文責:山下)


ボランティアセンターには
こうして活動のための様々な情報が
貼りだされている

全国から集まったボランティアに
まじって出撃を待つ

澄みきった川底に
まだまだ沢山の瓦礫が見えた
<混雑をすり抜けろ>
陸前高田災害ボランティアセンターはSKボランティア拠点の目と鼻の先に位置する。我々は坂を歩いてそこへと向かった。

三連休初日のせいか、ボランティアセンターの駐車場へ大型バスが次から次へと入ってくる。あっという間に敷地は集まってきたボランティア達でごった返した。我々は揃いのベストを着ていたのでメンバーを見つけやすかった。オレンジ色で背中には少林寺拳法のロゴが入っている。どこかの県連が寄贈したものと聞いたが大活躍だった。

ボランティアが多すぎて受付作業もスムーズに進まない。特に初めての参加者は手続きも多い。ボランティア保険加入、名簿に個人情報を記入、諸注意を聞いたあと、必要な機材を借りて現地へと向かうのだ。

それでも地元ご出身の畠山先生とベテラン林先生がご一緒だったのは心強い。ボランティアセンターにも顔が売れているようで、いろいろな手続きや交渉がスムーズに進んだ。手際よく作業支持と機材を受け取り、3台の車に分乗して我々は現地へと向かった。
<予想を超える爪あと>
気仙川沿いに国道を下る。
川のすぐそばに鮭の孵化場跡らしきものがあった。きっとこの川を毎年鮭が上ってきたのだろう。実際走る車の中からも澄んだ川の水が見えた。そして皮肉なことに澄んだ川底の瓦礫もよく見えた。

車の窓から周囲を見渡すと、土地は開けていて建物らしいものは少ない。時折ある建物は1階部分が激しくぶち抜かれていたりする。また、放置されたままの自動車は屋根の部分がひしゃげていたり、ボディのどの面もが擦り跡だらけだったりした。津波の中でゴロリゴロリと転がる車が想像された。

さらに川沿いに走り、水門が見え始めた頃、建物の土台だけが残っているある家の前に車が停まった。目の前の広っぱが今日の我々の割り当て場所となる。数十メートル先の堤防までが、かつて畑地だったそうだが、一面泥に覆われ今では見る影もない。
畠山先生が「ここは川の防波堤があったがため津波を目視できず、それが災いして逃げ遅れた地区なんだ」と教えてくれた。
確かにニュースで何度も見た被災地だ。まさか自分がそこに立つとは思ってもみなかった。

津波の時は水面下10数メートルに

表面の泥を掘り起こして
瓦礫を拾う
<道路も流される>
作業内容はかなり地味。畑だった場所に降りていき、土の中から、石やガラス片、金属片にゴム・ビニールなどのごみを拾いだして、選り分けて山にする・・・あぜ道の向こうに以前の清掃作業跡があったが、さほど広くない。恐らく数人一日作業してできる範囲があの程度なのだろう。土地はまだまだ広く、なかなか気が遠くなる。しかし、見ていても何も変わらない、とにかくスコップや鍬で土を掘り返して瓦礫を拾い始めた。

浅田さんがちょっと離れたところで一心不乱に作業していた。
手伝いに行くと「大きなのがあるんです。何でしょうね」と言う。たしかに大きな石だが、庭石でも束石でもなさそうだ。

少しずつ周りから綺麗にして全容が見えてきた。それは大きなアスファルトの塊だった。道路が流されてきたのだ。そういえばここへくる途中に崩落した部分があった。おそらく崩落したその部分が強烈な引き潮でここまで流されてきたのではないだろうか。

掘り出したは良いが、重すぎて運べない。畠山先生が車から大きなハンマーを持ってきて、その塊に叩きつけた。小片にくだけたアスファルトを、他の何人かで一輪車に積み、畑の端へと運びだした。我々はそんな作業を数時間続けた。


続く・・・ 

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