斥候隊の記録 Episode 5
         - 関東実業団連盟 SKボランティア -
※ 関東実業団連盟は東日本大震災の復興支援を長期的に支援していきます
参加者の目から見た実業団ボランティア日記   (文責:山下)


瓦礫の山の向こうに見えるのが
希望の一本松

半年前まではリゾートホテル
そして波打ち際は100メートル沖だった

ここが市街地だったところ
<言葉が見つからない>
早めに昼食をすませ、空いた時間で陸前高田の市街地を視察しに行くことにした。
隣に立っていた生方先生がもじもじしている。午前中の作業で泥だらけになり、きれいな車の乗るのは気が引けるらしい。私が軽トラの鍵を借りて運転することにした。久々にクラッチの車を運転した。ハンドルも重ステだった。快適とは言えないが、逆に操縦の楽しさがあった。

生方先生は連盟で会計の仕事を一手にこなしている。性格がきちっとしていないと務まらない仕事だ。朝の混雑したボランティア受付会場においてもこのきちっとした性格は発揮されていた。数百人いるボランティアの中でただ一人生方先生だけがマスクまで装着していた。作業はまだ始まっていないのになぜこんなに重装備なのだろうか。メットに掛けたゴーグルとメガネのせいで目が4つに見えた。
ただ、私がボケた時・・・いや正確に言えば滑った時にも必ずフォローの手を差し伸べてくれるのは生方先生だった。

そんな生方先生とのドライブは冗談の連発で始まった。だけど今回はその冗談合戦も長くは続かなかった。
遠くからでは分からなかったが海の方に近づいていくと、積み上げられた瓦礫の山がいくつもあることに気がついた。高さにして10メートルはあるだろうか、そのひとつひとつが丘のように見えた。こんなもの一体どうしたらいいのだ。思考も止まる。話すべき言葉も見つからなかった。

廃墟と化したホテルが海沿いに立っていた。夜行バスが本来バス停としていたのはここなのだが、子供の頃テレビで見た戦隊モノの戦闘シーンで使われてもおかしくないほどに破壊されていた。2階ベランダの柵に大きな蜘蛛の巣があり、丸々と肥えた蜘蛛が風に揺れていた。

畠山先生が地震前の町の様子を教えてくれた。実は今でこそ、このホテルは海沿いに立っているが、もともとの海岸線は100メートルほど沖合いだった。地盤沈下で一気に海岸線が近づいたらしいが、こんなに海抜が低くては街として機能させることは難しいのではないかと言う。
街なかには大船渡線の踏切が残っていた。すぐ先でレールも途切れていて、もちろん鉄道が走っているわけはないのだが、習慣で私は一時停止してしまった。
建物跡に車を停めて降りている人がいた。まさか子供を遊ばすために来たとは思えない。恐らく思い出の建物跡か、身内の方が亡くなったのではないかと思われた。

いつもは軽口を言える生方先生だが、僕は何を話していいのか分からない。口をついて出るのは、「言葉が見つからない」という言葉だけだった。
陸前高田の町は寂しさが風と一緒に吹き抜けていくような更地だった。
<再び草刈隊>
気を取り直して、午後の作業に入る。
取り掛かる前はあれほど嫌だったため池さらいも軌道に乗り始め、畑掃除、草刈はせずこのままため池さらいだけを集中して片付けてしまおうかと、畠山先生も悩んだようだ。ただ、一応他のご依頼も無視するわけにはという気遣いからか、午後は再び草刈隊が結成された。草刈り活動も並行して行うことになる。

正直腰を屈めて重い物を引き上げるため池清掃は、今日の私の腰には地獄だった。日頃から草刈り機に慣れていたこともあり、今日も草刈隊に志願した。本日の草刈隊は他に、高崎さん。高崎さんは右手人差し指を骨折しているので、私同様力仕事より草刈機の方が向いているように見えた。そして畠山先生の姪御さんお二人。畠山先生の姪御さんは盛岡から来て、しばしばボランティア活動に参加しているという。畠山先生のご実家がいわばお祖父さんお婆さんの家ということだ。

草刈は午後だけなので13時から15時まで2時間しかない。昨日浅田さんが言っていた「元が田圃だけに土が肥沃で雑草がどんどん生えるんですよね・・・」この広い土地だ、綺麗に刈り込むより、少しでも広く刈り込むべきだろう。100人組手のつもりで挑もう、意識を集中して前へ前へと進んだ。

遠くで高崎さんが合図している、腕時計を見ると14時45分、タイムアップだ、草刈り作業終了。まだまだ雑草の草原は広がるが、それでもそれなりに草刈りの成果が見えたかな・・・と思う。
<なせば成る>
皆のところに戻ってみて驚いた。ため池は、浮いていたゴミのほとんどが引き上げられていた。淵に数箇所ごみの山ができていた。ゴミの中には冷蔵庫まであった。底に沈んでいたがロープを掛けて引きずりだしたという。

作業中、高校生の高崎君がため池にダイブしてしまったようだが、怪我もなく無事だった。ただそこからは浮世の辛さを吹っ切ったかのように、胸まで水につかりながらゴミ押しをやってくれたという。今どきの若いモンにしては、ガッツがあるぜ!


使用前

使用後
<がんばっぺし>
作業依頼者の方は盛岡まで行かねばならず、昼過ぎに挨拶をしていなくなってしまったそうだ。でも、それは決して無責任なのではない。奥さんが入院してしまい、そのお見舞いに行かれたのだ。お子さんも2人いるが、現金収入を得るため働きに出ている。
私はほんの二言三言しか言葉を交わしていないが、寡黙でまじめで腰が低く、何かをじっと耐えているようにも見えた。

二日間のボランティア作業を終えた。今晩我々は東京へ発つ。頑張った方だと思うけど被害の全体像からすると、焼け石に水ではないかとも思われた。私達にできることは、絶望の淵に立たされている方々の横に立ち(一人ではないよ)という気持ちを行動で示すことだけかもしれない。


仕事を終えて


もうちょっと続く・・・ 

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